文化強化月間(2)

文化強化月間

粧っていた山も眠りにつき始める今日この頃、日没はどんどんと早くなり、夜は長さを増しております。

ということで、ちょうど知己の関わる舞台が続くのでせっかくだからそれ以外も加えて色々見てインプットしようという月間でした。

11月最終週から今日までのおよそ20日間で4つの舞台を見てまいりました。その感想をつらつらと書いていこうと思います。

(ここまでコピペテンプレ)

Novanta Quattro 《修道女アンジェリカ》とプロローグ

オペラ2つ目。プッチーニによるオペラですね。プッチーニといえばやっぱりボエームとかが有名所なんでしょうか。あれ最後の音楽が消えて「なぜそんなふうに僕を見るんだ」というところだいすき。

まぁこちらもストーリーとしてはネタバレも何もない古典なので、つらつらと感想を。

Novanta Quattroさんはよくオペラの前に「プロローグ」を追加します。近い題材の童話であったり、あったかもしれない短いストーリーであったり。国語の授業とかでやった記憶が蘇りますね、名作の続きを書いてみよう。自分で書いた記憶を遡るとまぁ見事に蛇足です。多分足どころか手としっぽが生えてます。今書いても手足は生えてるでしょう。 こういう書き足しはそのリスクがどうしてもあるわけです。完璧に描かれた1セント硬貨でしたっけ、あれとは少しずれますが。ですが、以前からプロローグと本編がきれいにまとまっていてうまいなぁと感嘆しています。

開けてはならぬ戸を開けた娘と、許されない子を生んだ母。対比としてきれいでした。まぁ、娘も長じて子を生んだあとに子を取り去られてしまうのは同じではありますが、赦しが得られたのかは逆なのかなぁと思いながら見ていました。罪を告白して赦され、子を取り戻した娘。子のところへ行かんと毒杯を煽った母。アンジェリカの見た聖母マリアは燃え落ちたあとの無残なものだったのでしょうか、それとも蛇を踏みつけて死を迎えるアンジェリカのために祈っていたのでしょうか。歌詞と演出からすると後者のようですが。

当時の修道院は今のものとは大きく印象が異なるものでした。ここに来る読者さんには悪役令嬢ものの「修道院送り」のイメージがわかりやすいでしょうか。いわば島流しではあるのですが、それと同時にある種の避難所としての性質もありました。例えば門扉を固く閉ざして修道生活を送る修道院が実際にもあるのですが、外界との接触が極めて少なくなります。観想修道会と言われるタイプになりますが、様々な事情で人と会えないものの受け皿として機能しうるわけです。ちなみに有名なフランシスコザビエルとかの所属した宣教活動とかばりばりやる系の修道会を活動修道会と言ったりします。お寺さんにも、厳しい修行をするところと、広く何かを伝えるところとみたいに差がありますよね。そんなイメージでいいと思います。

魔女裁判や、禁書目録と古い知識を破壊したイメージが強い教会ですが、同時に修道院は薬草園や図書室を備え、古い知識の保存に一役買っていました。修道院製のリキュールとかありますしね、カンパリとかそうだった気がする。アンジェリカも薬草の知識を買われていたようで、作中で蜂に刺された修道女のために薬草をとって救護の修道女に教えています。君が治療したほうがはやいんでない???

最期にはその知識で作った毒を煽ったわけですが、コップが床に落ちて響いたとき、彼女はどう聞いたんでしょう。沈黙の規則もありそうな修道院でしたが、そこに響く音といえば祈りのときに鳴る鐘くらいなものでしょうか。あとはこっそり作業中にしてるおしゃべり。あの最期の音がΕὐαγγέλιονであることを祈ります。

また、箱が小さなもので幕がなく、照明も大規模なものは組めません。どうやって場面を転換するのだろうと思っていたら、なるほどと思わず手を打ちそうになりました。プロジェクションマッピング、そういうのもあるのか。あそこ構造的に大きなもののではけほぼ無理ですからね。その点映像ならプロジェクターと映像さえあればいい。ミスったときが怖すぎてオペレーションしたくないですけど。PC……発表中……フリーズ……うっあたまが。